二十九歳のときのことです。それまで私はマスコミで働いていましたが、ひょんなことから仕事を辞め、先のことを考えるために実家に戻っていた時期がありました。
新しいことを始めるにはまず掃除から。
律儀にもそんなことを考え、物置小屋の掃除から始めることにしました。 すると、小屋の奥に見覚えのない古い本棚があったのです。
とにかく重い本棚でした。そして、至る所に傷があり、触ってみるまで木製であることもわからないほど汚れていました。
祖母に聞いてみたところ、その本棚は私の曽祖父のものだということでした。
結核を患い一歩も外へ出ることのなくなった晩年の曽祖父が、自室で好きな本に囲まれて過ごすために大工に注文して作らせたものなのだと。
久しぶりに故郷へ帰り、少し感傷的な気分になっていたのだと思います。
私は、その本棚を修理して使いたいと思いました。
当時の私は鉋を使えなかったので、サンダーで必死に磨きました。 べニヤ板ではなく無垢材でできているということはその重みからわかっていたので、とにかく磨けば少しはましになるだろうと考えたのです。
すると、驚くべきことに、傷や汚れはすべて落ち、透き通るような木肌が表れたのです。 仕上げにニスを塗ると、ほとんど新品といってもよさそうな本棚が完成しました。
木の生命力のなんと強いことか、と私は思いました。
この木には野山で育った数十年があり、伐採後、乾燥させるための数年間があり、仮にその後すぐに大工の手によって本棚になっていたとしても、そこからさらに50年の月日が流れているのです。 それだけの歳月を経てもなお、古くなった表面を削れば中から元の美しい木目が出てくる……。
私は、木の生命力にすっかり圧倒されてしまい、木でものづくりをしていきたいと思うようになったのです。
その後、アンティーク調の家具をつくる木工所に就職しました。
従業員の大半が60代、70代と高齢で、なるほど、日本のものづくりの安定成長期はこの人たちが支えてきたんだなと思わせるような職場でした。
そこで私は木工のいろはを学びましたが、何より恵まれていたのは、終業後にいくらでも自由に機械を使っていいという環境にあったことです。 新米の私でさえも危険な木工機械を心行くまで使える…。
悪く言えば管理体制のずさんな木工所ということになるのでしょうが、私にとっては夢のような木工所でした。
その環境を最大限に生かすべく、深夜まで工場に残りオリジナルの家具を製作しました。 スツールや机をはじめ、ギターの形をした椅子(この段落の上の写真)や李朝棚(同じく下の写真)など様々なものを作りました。
できなかったことができるようになる喜び、家のスペースが自分の家具で埋まっていく充足感、ものづくりの階段を確実に昇っているという実感がありました。
しかし、製作した家具の中で一つだけ、そういう満足とは全く別の満足を味わうことのできた家具がありました。
それは、結婚を機に使わなくなった妻の木製ベッドを再利用して子供のために作ったおもちゃ箱です。
決して高価なベッドではなく、処分するつもりで部屋の片隅に置いていたのですが、妻が生まれて初めて買ったベッドだというのを小耳に挟んでいたので、なかなか捨てられなかったのです。 ちょうど子供の荷物が増えてきたという事情が重なり、ベッドの枠をそのまま小さくしたようなおもちゃ箱を作りました。
シンプルなつくりで、ほとんど時間もかけずに完成しましたが、妻も子供も気に入ってくれたようでした。
私も、捨てるはずだったものを再利用できたことに少し誇らしい気分になり、こういう家具を作って生きていけたら幸せだなと思いました。
木工所で働いている頃から、いつかは独立して何か木工で新しいビジネスをしたいと漠然と思っていました。
そして、その“いつか”は意外と早くやってきました。 材料費の高騰や注文の減少などで会社の経営が立ち行かなくなり、離職せざるを得なくなってしまったのです。
さて、どうしよう。この先どんなものをつくったらいいのか。
途方に暮れていた時にふと思い出したのは、数年前、妻の実家を訪れた際に義理の母が話していたことでした。
「ばあちゃんが私に買ってくれた着物、○○(妻の名)には裾が短くて着れないのよね。とてもいい物だし、使ってくれたらばあちゃんも喜ぶのだけどねえ。」
この話を聞いた当時の私は、それはもったいないことだな、というくらいの感想しか持たなかったと思います。 しかし、この時は少し違いました。
なんとかして母の着物を妻やその次の世代へと継承できないだろうか。
「もの」は人と人とを結ぶ懸け橋となるのに……。
そんなことを考えながら自分の木工人生を振り返ったとき、私はあることに気がつきました。
ベッドからおもちゃ箱を作ったときの幸福感は、単に古いものを再利用できたことに対する満足からきたものではなく、 妻の想いを子供へと繋げることができたという喜びだったのではないか。
さらに思い起こせば、曽祖父の本棚を修理したことで木工の世界に飛び込もうと思ったのも、 木の生命力の強さに胸を打たれたからではなく、一度も会ったことのない曽祖父と自分とがどこかで繋がったように思えたことが嬉しかったからなのではないかと。
木工を通して人と人とを繋げよう。
人の想いを継承できる家具をつくろう。
そう考えた時から『きもの再生家具』が生まれるまでには、ほとんど時間はかかりませんでした。


大量生産、大量消費の時代はまだまだつづくと思います。 しかし、その一方で、「もの」に新たな価値を見出し、大切にしている人が少しずつ増えているような気もしています。 ひとの暮らしを豊かにする「もの」とはいったい何だろう。
『きもの再生家具』が、そういったことを考える小さなきっかけとなれば、作り手としてこれ以上の喜びはありません。